3942-Love_Is_Love_LGBT_Rainbow_Flag

いまや新聞やテレビ番組などでも普通に使われ始めているLGBTという略語。わたしたちの業界ではもはや当たり前の用語ではあるのですが、しっかりと意味とその成り立ちを知っている人というのはなかなかいないのではないでしょうか?

だいたいこんなもんなもんだよね、という認識でもまったく問題はないのですが、せっかく当事者なのですからきちんと意味を把握しておくのも大事なことですからね。

ここではLGBTの正確な意味と、なぜこの言葉が生まれたのか?という歴史もご紹介したいと思います。

LGBTとは4つの単語の頭文字を並べたもの

日本ではまだまだ馴染みの薄い単語ではあるのですが、欧米ではもはや一般用語ともいえるくらいに浸透しているそうです。具体的になんの単語を並べたかといえば

  • L……Lesbian(レズビアン・女性同性愛)のL
  • G……Gay(ゲイ・男性同性愛)のG
  • B……Bisexuality(バイセクシャル・両性愛)のB
  • T……Transgender(トランス・ジェンダー・性同一性障害)のT

を並べてその頭文字をとったものです。ここでひとつ、ちょっと疑問に思いませんか?LGBTの並び順はどう決まったのか?アルファベット順ならBが一番最初なはずだし、人口順ならレズビアンよりもゲイのほうが多そうに感じる。どうしてLが一番最初なの?と。

少なくともわたしはそう感じてしまいました。「あれ、レズビアンが先頭なんだ?」と。なにもこれは適当に決めたわけではなく、きちんとした意味と歴史があったのです。

それはLGBT内での差別からはじまった

なぜLが一番最初にきているかといえば、それは女性がもっとも差別されていたからこそ、その反省の意味を込めてLが一番最初にきているのです。

同性愛にも平等な権利を!なんていうといかにもリベラルで公平的なイメージがありますが、その運動がはじまった1970年代というのはまだまだ男尊女卑がはびこっていた時代でもありました。

男性は女性よりも優れている、という考え方ですね。欧米はもちろんのこと日本においても広く浸透してきた考え方です。今でこそそんな考えも時代遅れになり、男女平等が当たり前……どころか女尊男卑なんて言葉もでてきているくらいです。

女性だって男性だって同性愛者なんだから仲良くすればいいじゃない、と今なら思うかもしれませんが、当時はコテコテの男性社会であったため、同性愛者同士で団結していてもそこには明らかな上下関係があり、レズビアンは我々ゲイの後ろについてくればいいんだ、といった思いから当初はGLBT運動だ!というスローガンだったとか。

しかし、よく考えればこれっておかしくね?とようやく気づいたのがその数十年後。被差別をなくそうと運動している団体の中で差別があったのでは本末転倒ですからね。そういった出来事の反省と戒めを込めてLGBTという、まず女性を一番最初にもってくることになったそうです。

LGがB,Tを差別しているという一面も

ところがLGBT内の差別というのはこれだけではありませんでした。いまでこそLGBTとして4つが1つの単語になり、一致団結しているような印象を受けますが、実はその逆であり……バイセクシャルとトランス・ジェンダーに対して、もっとも強硬に差別をしていたのはほかならぬレズビアンとゲイだったと言われています。

LGBT運動の始まりというのは、同性愛者にも異性愛者と同じような権利を!という政治運動でした。主にゲイのかたがたが先頭に立って始まった運動なのですが、ひとつ問題がありました。それはどこからどこまでがゲイとして認めるべきなのか?という問題です。

権利を守れ!と叫ぶのであれば、具体的な案を示さなければなりません。ただ漠然とゲイの権利を!といってもなにも伝わりませんからね。だからこそ、きっちりとゲイという言葉の定義と線引を決める必要がありました。

そこで問題になったのがバイセクシャルとトランス・ジェンダーの扱いです。ゲイからすればバイセクシャルなんてのは「同性愛者といったって、楽しむだけ楽しんだら異性と結婚して「一般的な生活」を送るんだろ?」といった裏切り者のイメージがつよく、トランス・ジェンダーに至っては「オマエみたいな女の格好したがるような女々しい奴がゲイの運動に入るな!イメージが悪くなる!」と追い出す有様。

ゲイほどはっきり示してはいないものの、レズビアンだってバイセクシャルとトランス・ジェンダーに対しては冷たい態度をとっていたことは間違いないでしょう。

しかし、どんなに線引をしようとしてももともと0か1かでわけられるようなものではないのです。「バイセクシャルよりのゲイ」であったり、「ゲイだけど女装が好き。でもトランス・ジェンダーの自覚はない」といったり人それぞれです。

結局は「いずれは異性と結婚しなきゃいけないという悩み」であり「性別は生まれつきの身体から変えられないという悩み」を共通して抱えていることには変わりがないのだから、ということですべてひっくるめることになったそうです。

それでめでたしめでたし……となればいいのですが、実はこのLGBTの枠組み問題というのは今もなお現在進行形で続いています。つい先日にも「LGBTからTを排除しよう!」という運動が立ち上がり話題になりました。

LGBTから「LGB」へ?総称の変更求める「Drop the T」運動に賛否両論

 セクシャル・マイノリティを指す総称「LGBT」から「T」を除き「LGB」へ呼び方を変更しようとする運動が、先週からオンライン署名サイト上で始まり話題を集めている。

「LGBT」はレズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシュアル(Bisexual)、トランスジェンダー (Transgender)のセクシャル・マイノリティを指す頭字語として全世界で浸透している総称。先週、「LGBT」から「T」を除こうとする運動 「Drop the T」の主張に賛同したゲイとレズビアンから構成されるグループが発起人となり、署名サイト「Chage.org」にページが立ち上がった。団体は「レズビ アン、ゲイ、バイセクシュアルは『sexual orientation(=性的指向)』だが、トランスジェンダーに至っては『gender identity(=性別のアイデンティティ)』であり、「LGBT」と一語で括るものではない」と訴えている。

この主張に対して現在 までに1,932人の署名が寄せられているが、ネット上では「差別に立ち向かって行くはずの仲間内で差別が起きている」と「Drop the T」運動へ否定的な意見も上がり、同じ署名サイトには「Keep the T」を訴えるページが立ち上がるなどアメリカ社会を中心に賛否両論が起きている。

http://www.fashionsnap.com/news/2015-11-12/lgbt-lgb/

てっきりもう数十年前に解決した問題を、いままたこうして掘り返す人がでてくるのですから……LGBTといっても決して一枚岩ではないのです。その提案の是非はともかく、こうしたことが議論になって人々の考えるきっかけになることはいいことですが……やはり今もなお被差別を受けている側の総称なのですから、そういった排除運動というのは間違っているように思います。

LGBTへの差別は根深く、多岐にわたります

いま、世界的な流れとしてはLGBTへの差別をなくそう!という運動が盛んになっています。それは大変うれしいことですし、わたしとしても応援するだけでなくなにかチカラになりたいとは思っています。

ですが、差別をなくそう!ということは「今まさに差別をうけている」からこそ、そういった運動が必要になるわけです。白人による黒人への差別をなくそう!という運動は何十年もまえから毎日のように行われていますが、黒人による白人への差別をなくそう!といって白人たちが列をなしている運動なんてのは見たことがありません。

それは明確に差別が存在しないからこそ、運動も存在しないわけですね。つまり、ほんとうにLGBT差別がなくなったときはLGBTという単語もその役割を終えて消え去る運命にあることでしょう。その日が訪れるかどうかは、わかりませんが……。

ゲイだと打ち明けたら友人たちから距離を置かれて、よそよそしい態度になってしまった、なんてのはよくある話ではありますが、こんなのは差別とも呼べないふつうのコトです。ストレートなひとたちにとっての同性愛者と言うのは理解ができない異物なのですから、話が合わない人とは距離を置こう、というのは人間としてごくごくふつうの反応ですからね。

本当の差別というのはもっと深刻でひどいものです。アメリカなどでは仲良く手をつないでいたゲイカップルに対して「気持ち悪いんだよ」という理由で殴りかかって暴行を加えたり、アフリカ諸国ではゲイであることが判明した人のリストをタブロイド紙に掲載し、それをみた人たちが反社会的である、という理由でリンチを加えたり、レズビアンに至っては「その間違った考えを矯正してやる」といった、それこそ間違った正義感を振りかざしてレズビアンに対してレイプをする人だっているのです。

日本においてそういった暴力的で実害のある差別はほとんど見受けられませんが、LGBTを法的に守る制度というのはまだまだほとんどなく、男女間での結婚制度のように法で守られた家族をLGBTが築くことは難しい状況です。

オランダなどでは同性婚が法的に認められているのですが、親が同性愛カップルであることが判明した場合、子供が学校でいじめられることが多々あって社会問題になるなど、まだまだ同性愛に対する社会的な認知というのは風当たりがつよいのが現実です。ただ状況は必ずいい方向に向かっている、という空気があるのだけが救いですね。

性的マイノリティーはLGBTだけではない

ただ、差別の被害にあっているのはLGBTだけではありません。むしろ、性的マイノリティーという枠組みのなかではLGBTというのは圧倒的な強者ともいえます。自分たちにも正当な権利を!という運動ができて、さらに多くの賛同を集められているという時点である意味では「勝ち組」であるともいえます。

たとえばロリコンという言葉があります。言わずと知れたロリータ・コンプレックスの略であり、幼い子供に対して性的な興奮を覚える性癖です。ペドフィリアと称することもありますね。これも性的マイノリティーの一種でしょう。

他にも機械的同性愛、ズーフィリア、ネクロフィリア、ベドフィリア、アセクシャルなどなど……性的マイノリティーを挙げだしたらキリがありません。人間の欲望にキリがないのと同じで、人がなにを性的な対象にするかというのはまさに人それぞれなわけです。

ですが、例えばロリコンにも社会的な権利と保障を!なんて運動がはたして起こりうるでしょうか?ロリコンといえば抵抗することができない幼い子供に対して性的暴行を加えたり、あまつさえは殺人まで犯してしまう精神異常者であり、卑怯な犯罪者である。そんな奴らに権利と保障だって!?と門前払いになってしまうことでしょう。

事実としてロリコンによる幼い子供へのレイプ・殺人事件などが起きていますのでこの反応はもっともです。しかしそういった性癖が原因となってレイプや殺人が起きているのはLGBTだって同じことだったりしますからね。ロリコンの場合は相手が無力な子供にしか対象にならないことがまた悪印象のひとつではあると思いますが、同じ性的マイノリティであることに変わりはありません。

だからといってLGBTと同じようにロリコンに権利と保障を与えるべき!というわけではありません。ただ、LGBTはまだ理解が進み国がサポートをしてくれているだけでも恵まれている、という側面もあるのです。

いずれにせよ、生まれ持った性別や性質というのは変えられません。これまでは生まれ持った個性を変えるべきだと他人から強いられてきた時代でした。だからこそ、もっと生まれた個性をそのままに活かせるような世の中が理想であるのは確かです。きれいごとだけでは済まされない部分もありますが、理想を追い求めること自体を否定してしまってはなにも生まれませんからね。

自分が持って生まれた性質について、いちど学術的や歴史的な面から見つめなおしてみるのも面白いものですよ。